ある少女 after
相変わらず地味なトレンチコートを羽織り、私は自宅を後にする。
今時珍しくもない自動認識ドアは私の意識に反応して、重苦しく開く。
ロック解除
シュゴー
今朝は黒い泥水を一杯だけ。
頭が冴えわたるわけでもなく、気持ちだけ軽くなる。
地下鉄なんて言葉は今や意味をなさない。
すべての列車は地下にしかないのだ。
「ちゃんと朝食を摂りなさいってば」
ニューロン・ネットワークで話している相手は学生時代の友人で城ヶ崎舞。
全人口のほぼ全員がニューロン・ネットワークに接続して、スーパーコンピュータの認天堂から恩恵を受けている。
「私はこれでいいの。空腹でイライラしていたいの」
「はぁ」
舞は呆れた様子で言葉に詰まる。
あたりの立体看板には美味しそうな料理が映し出されており、胃袋がキューと悲鳴をあげる。だけど、胃袋に何もないってことは、吐いたりしないってこと。
といっても、肉料理はない。
なぜなら牛や豚を育てるためには、広大な土地に水や食料が莫大に必要だからだ。
人類にそれだけの余裕があるわけもなく、豆料理とブロック状のかつてカロリーメイトなんて呼ばれた栄養食品の進化系が並んでいる。
ファイル参照。
ーー神経系統の異常に作用している。
さて、早歩きで私は駅のホームまでやってきた。
「また亜人? いつまで続くのかな」
「人類が滅ぶまでかもね」
悪い冗談を真面目に受け止めないでね、と付け加える。
どうやら、亜人によるテロが発生したようで、21人の人間が死亡したらしい。
武器や爆薬なら山ほどある。先の大戦で使用されたレーザー砲の虎小僧や燃料気化爆弾が使用される。
私は駅で延々と列車を待つ羽目になり、勤め先の研究所に連絡しなければならなくなった。
「えらいことよ。巻き込まれなくてよかった」
「そうね」
「亜人が人を殺す理由……なんだけど、未だわからないんだって」
「そうだね。もしかしたら、殺す理由なんてないのかもしれない」
「理由のない殺戮……ますます怖い」
さて、私があの“事件”から立ち直り今やパパ……父親の後釜になってから1年が経つ。
神経通信理化学工業弥生。この長ったらしい研究施設で日夜運ばれてくる亜人を監禁し、脳に異常がないか調べている。
今のところわかったのが、亜人は意識に異常を来たしている、ということのみで、あまり詳しくは分かっていない。
パパ……父親は亜人化する人間には〈姫〉と呼ばれる存在が関与している、と研究していた。
さて、何をしながら待とうか。
私はカバンからゲームボーイカラーと呼ばれる骨董品を取り出す。
「えー最新のゲーム貸してあげるのに」
「いいの、こうしてポケットなモンスターを育てているから。このゲームではね、人類以外の生命体を捕まえて戦わせるの。捕まえられたモンスターは命令に従うようになるの」
「捕まえられたモンスターが命令に従う?」
私は実に楽しげに語る。
「ボールという機械に入ったモンスターは意識を操られ、命令に従うようになるの。はじめはみんな襲ってきたのに」
「なんかこわいね」
「亜人も意識をコントロールされているんじゃないかって」
「えーーっ!」
勿論、これは推測でしかないが、人間が亜人化する過程で、何かあるんじゃないか。そう漠然と考えている。亜人を生み出すボールのようなもの。人間を捉え、亜人化させる〈姫〉を生み出す装置が……。
「じゃあ、その装置ってどこにあるの」
「……推測に過ぎないけど」
「すぎないけど?」
いや、といって会話を中断する。
亜人化する人間には法則性がある。
亜人化する人間はある前提がある。
ニューロン・ネットワーク。
トリガーになっているのは、人間の狂気とニューロン・ネットワーク上に存在する悪魔。
それをパパ……父親は〈姫〉と呼んでいたのかもしれない。
〈姫〉によって意識が奪われていく過程で、体まで異形化する。
ニューロン・ネットワークを管理しているのはスーパーコンピュータの認天堂だ。
「認天堂の生み出す〈姫〉により、かつて戦争が起きた。そして、今もテロが続いている」
オフラインで無発声の言葉を述べる。
スーパーコンピュータ認天堂は家庭に一台あるほどだ。
私たちは戻れるだろうか、ニューロン・ネットワークのない時代へ。
考える。
これは社会が生んだ悪夢だと。
おわり