シェアワールド~√劇場の裏~

複数の作者が共通の世界観で紡ぐ物語やイラストの集まり。様々な要素が重なり合い、並行世界は形作られている。

亜人行録Ⅳ

暗い部屋、岩の神父は僕の顔を覗く。
「それでは、単刀直入に言おう。
選ばせてやる。
我々の下に来るか?
君のその技術力は貴重なリソースだ」
……駄目だ、僕には人質がいる。
トメニアに捕らえられたタマミの姿が脳裏を過る。
僕がこの男の勧誘を呑もうものならば、タマミの命は忽ちの内に消し去られるだろう。
彼女の背の翼が垂れ、血しぶきと共に無数の羽が舞う情景を思い浮かべる。

 


……駄目だ。
タマミが殺されるなんて耐えられない。
「では、彼女に目覚めてもらおうか」
岩の男は、隣にいる白衣の亜人に目で指示を出す。
白衣の亜人はしゃがみ込み、並べられた器具から一本の注射器を取る。
「……な……何を……⁉︎」
僕の声をよそにして、眠れるヘレナの腕に何か液体が流し込まれる。
彼女は全身をビクリと身震いした後、目を覚ます。
「ご……主人……っ⁉︎」
彼女は捕らえられた僕を見て、すぐさま身体を起こそうとするも、彼女の手脚が震えるだけで一向に動かすことができなかった。
「先程、少し彼女のプログラムを弄ってね。
動けないようにしてある」
「……何だって……」
僕に伸ばそうとする腕も、ただ震えるだけで床から離れることはない。
「ヘレナ……‼︎」
僕は彼女の、混乱に満ちた顔を見る。
「御主人……、ごめんなさい……」
僕は歯を食いしばった。
ヘレナを生かそうとすれば、僕がトメニアを裏切ったというデータが、彼女の脳内からトメニアに送られる。
でも、だからといってヘレナを殺すのか?
ヘレナは震える身体をただ必死に起こそうとする。
「……ごめんなさい……」

『ごめんね』
ヘレナの言葉に、記憶の中のタマミが重なる。

僕は苦しくなった。
「どうした?
条件を呑むのか?
それともこの人形、いや女を見殺しにするのか?
さあどうだ?」
岩の男はにやりと笑って、手で部下に指示を出す。
部下は並ぶ器具からメスを取る。
「…………やめ……」
僕が言い終えるまでには、既に鋭いメスの刃がヘレナの腹部に刺さっていた。
垂れる赤。
「見たまえ、人形の血だ」
「…………おい……やめろ……」
赤は床に広がってゆく。
「人形に情が移ったか?
馬鹿な。
人形は人間ではない」
「…………あ……あああ……」
僕は言葉を失い、ただ声だけが零れ出る。
言葉にならない彼女の叫び。
彼女の腹部から、ゆっくりと、腸が取り出されてゆく。
脈打つ臓腑は、人間のそれと何の違いもない。
彼女の内臓は、紛れもなく生きている。
「見ろ。
これが人形の腸(はらわた)だ。
お前達が作り、お前達が酷使してきた者の臓物だ」
「やめてくれ……、やめてくれ!」
僕は思わず目を閉じる。しかし、彼女の身体が抉られる音と彼女の悲鳴は、耳から入り続ける。
「どうだ、
この情景を見ても尚、人間は特別な存在か?
人間とは何だ?」
「やめてくれ……」
引きずり出される腸。
臓腑が脈打つ毎に溢れる赤。
床に垂れ下がった僕の足先に、生温かい液体が触れる。
「俺の下に来れば、彼女を生かしてやるぞ?
情報漏洩の防止の為、脳は取り替えるがね。
彼女は人形だ。
パーツを取り替えれば何度でも蘇る。
君は何体も何体も人形を作ってきた筈だろう?」
男は笑みを浮かべたままだった。
ここで要求を断ればヘレナは殺される。
ここで要求を呑めば、タマミが死ぬ。
要求を呑んだとして、その事実のトメニアへの自動送信を止めるには、ヘレナの脳を破壊する必要がある。
つまり、どちらを選ぶにせよ、タマミ、ヘレナの両方を救い出す手段はない。
諦めろ。
さっきだってそうだったじゃないか。
諦めなくて、何が変わったっていうんだ。
脈打つ内臓。触れる生温かい赤。
どうしようもなく胸が痛い。
ここでヘレナを否定したら、同じく人間でない亜人のタマミを否定することになる。
どうする……どうする……、
どうすればいい。
「どうして……、どうしてこんな酷い事を迫るんだ⁉︎」
怒りに震える僕を見て、彼は笑う。
「俺は君の反応が見たいのさ。
人間というものが本当に特別な存在なのかが知りたいんだよ。
極限状態に陥ったとき、人間がどう行動を選択するのか。
人間の選択の力が本当に尊いものなのかという事を‼︎」
彼の目は子供のように輝いていた。
「さあ選べ」
「やめろ……‼︎」
やめろ。
……やめろ。
やめてくれ。
「…………狂ってる……」
「狂っている、だと?
愛する亜人の為に一国を棄てた男が、笑わせる。
俺を失望させるな?」
痛みに耐える彼女の声が部屋に反響する。
彼女の腹部は、その殆どが開かれ、赤い臓物が脈打っている。
その間にも、床を這って広がる赤。
「…………時間を……」
僕の口から勝手に声が出た。
「……お願いだ……時間を……、時間をくれ……‼︎」
僕はまた問題を先延ばしにしようというのか。
自分自身に失望感を覚えながら、それでも僕は必死に懇願した。
岩の男は僕も目を覗き込み、今にも噴き出しそうな顔をした。
「よし良いだろう。
3時間だ。
3時間後には必ず、必ず答えを出して貰う」
彼はそう言って、部下達に手で指示を出した。
すると彼らは立ち上がり、彼女を乗せた血塗れの担架を持ち上げる。
「ヘレナ‼︎」
扉が開き、彼女が部屋の外へと運ばれてゆく。
「くそぉ……、ヘレナ……ヘレナ‼︎‼︎」

動けないと分かっていながら、身を動かそうとする僕をよそに、彼らは黙々と立ち去ってゆく。
「……御主人……、ごめん……なさ……い……」
彼女の振り絞る声が聞こえた時には、部屋の扉は閉ざされていた。


岩の神父と僕。
床を赤が這う部屋に、たった二人が残された。
神父はゆっくりと僕に背を向ける。
「ひとつ、面白い事を教えてやろう」
「面白い事……?」
僕の身体は未だに震えていた。
彼はゆったりとした足取りで、扉へと歩いて行く。
彼女の血を踏みつけながら。
「我々亜人は、第三次世界大戦によって生まれた」
「……何だって⁉︎」
僕は耳を疑った。
第三次世界大戦が亜人を生んだ……、だと。
「亜人は本来、大戦時に確立した人体、否、人格改造技術によって生まれた破壊兵器だった」
僕はただ唖然とした。
人間と亜人は繋がっているというのか。
「まさか……」
まさか、それが真実だとすれば……
「人は皆亜人となる因子を持っている」
彼が僕の考えを見事に言い当てた。
顔は見えないが、彼は笑っているに違いない。彼からは愉快な声がした。
「亜人化の因子は、人間の狂気をトリガーとして覚醒する。
亜人は、恐怖、憎悪、執着、愛情といった人間の強力な思いによって生まれるのだ。
戦時中、軍はこぞって兵士達の狂気を引き起こし、亜人を量産した。
狂気に蝕まれ、それに食い尽くされた人間は、もはや人間の姿を失ってしまう。
否、より狂気に適した肉体へとシフトするのだ」
僕は言葉を失った。
「戦後処理によって亜人が駆逐されるも、亜人は根絶しなかった。
当たり前だ、人間がいる限り、人間が狂気に駆られる世界がある限り、亜人は生まれ続けるからな」
虐殺されてゆく亜人の群れが脳裏を過る。
彼らは人間に擬態していたんじゃない、元々は本当に人間だったのだ。
彼はこちらに振り返り、僕を見た。
「亜人は人間の狂気そのものだ」
彼は鋭い目でにやりとした。
「我々亜人は狂気に駆られ自らの人間を失ったのだ。
我々は狂気だ。
我々は醜いだろう」
僕を突き刺すような視線。
「人間は亜人となる。
人間という殻を破る狂気こそが、亜人の本質だ。
亜人はお前達人間の思いそのものなのだ」
彼は身体をこちらに向け、両手を広げた。
無機質は岩の肌が、カソックの隙間からのぞく。
「俺を見ろ、さあ見ろ!
人間の思いはこれ程までに醜い。
俺は人間に絶望した」
彼の邪悪な笑みは、どこかに哀しみを感じさせた。
「俺は人間に絶望した。
だからこそ人間を棄てた。
人間は未来を選択する生き物だ。
我々亜人は絶望に負け、自ら考えることを、選択することを放棄してしまった人間だ」
彼は不気味な笑みを浮かべ続ける。
「だが、俺はマレスという男の死を見た。
俺はそこでもう一度だけ、人間を試そうと思ったのだ。
彼は死の間際に至っても、人間を棄てなかったからだ。
彼は人間のまま誰かに殺された」
そして彼は再び僕に背を向け、扉に手を掛けた。
「俺は知りたい。
人間の未来を選択する力が、本当に尊いものなのかということを」
彼はそう言い残して、部屋を出た。
残された僕は、彼の言葉を信じることができなかった。
何かが腑に落ちなかった。
機関車に揺られていたときに感じていた世界に対する違和感と同じだ。
やはり何かがおかしかった。
もしも、もしも彼の話が真実だとすれば、タマミは…………。
彼の話を信じたくはあった。
だが、どうしても違和感が付きまとい、僕はそれを信じることができなかった。
しかし、だからと言ってヘレナを殺すというのか。
人間じゃなければ殺してもいいというのか。
ヘレナの脈打つ内臓が、溢れ出す赤い血が、目に焼き付いて離れなかった。
彼女は人間と何が違うんだ。
人間と違うところを見つければお前は彼女を殺すのか。
お前はそれで良いのか。
僕はただ俯いた。

 

嫌に気が立ってもはや何も考えられない。
何故だろう、僕と関わる誰もが僕の前で傷ついて、僕の愛する誰もが凄惨な運命を辿る。
もうすっかり忘れ去った日本。
杜撰な戦後処理の中で、戦犯の濡れ衣を着せられ絞首刑になった父。
そんな父と僕のお陰で犯罪者同然に警察機構にマークされ続け、遂には捕らえれ獄中で自らの頸を括った母。
僕の目の前で内臓を抉り出されたヘレナ。
みんなみんな、目に見えて不幸な人間だった。
母親に身体を売られ、誰とも知らぬ幾多の男に犯されてきたタマミは、学級では常に敬遠という建前で除け者にされ続け、当然のように亜人化した。
僕は本当に彼女を愛していたのか。
それはただの偽善なんじゃないのか。
彼女が当然のように、平然と狂気を辿る姿が見ていられなかっただけなんじゃないのか。
みんなみんな、目に見えて不幸な人間だから愛していただけじゃないのか。
不幸な人間なら誰でもよかったのか。
ずっと嫌いだった父親の事も母親の事も、彼らの遺言に記された回りくどく深刻な恨み辛みを見てようやく、愛おしいと思えてしまった。
ヘレナが量産される光景や、失敗作が処分される光景を見てきた僕は、彼女の抉りだされた内臓を見てようやく、愛おしいと思えてしまった。
僕はなんて酷い人間なんだ。
人が苦しむ姿を一分一秒でも長く見る為だけに、僕はタマミに生きろと言い続けたのか。
認めたくない。
そんな事、認めたくない。
考えを否定しようとすればするほど、僕の中でそれは膨れ上がり続けた。
僕はどうにかして頭の中のそれを掻き消そうと、嗚咽にも似た声を絞り出した。
自閉症の子供が、脳では納めきれない情報を遮断する為に、意味を持たない自分の声で思考を掻き消そうとするように。
不思議な事に、僕の目からは涙が一滴も出ることはなかった。
僕は逝かれている。
逝かれている。
どうしようもなく残忍な極悪人。

「人を苦しめるのが大好きな極悪人の癖に……‼︎」

そうだ。タマミはきっとそれが解っていたのだ。
だから、亜人化が進行して人格を喪失するその時まで、僕を拒絶し続けた。
彼女が自分が亜人である為に、僕の世間体を守ろうとするなんて事は、あの性格ではまずあり得ない。
彼女は本心から、僕を否定していた。
だから、彼女が人格を喪ってようやく、彼女を抱きしめることができた。
僕はなんて陰湿なんだ。
「……タマミ……、
あああああ、タマミ……」
意味を持たない声は、次第に彼女の名を紡いでいた。

 

それからどれだけ経っただろうか。
部屋を照らす電灯が消え、数秒間の闇が僕の意識を引き戻した。
人の気配がする。
もうその時間なのか。
重い鉄の扉から姿を見せたのは、とある老人だった。
僕はその顔に見覚えがあった。
それは、廃案となった新国際言語の開発者であり、僕がこの旅で会うべき最重要人物。
データ上ではあったが、僕はその顔を何度も見てきた。
ルドヴィコ=サルトゥオーモ。
「初めまして、だろうかね?
君の顔を見る限り、私の自己紹介は要らない様だな」
彼の固まった血の跡が残る白衣は、幾多の被験体の解剖を物語っていた。
「貴方は……何故……」
狼狽える僕に、彼は床の無遠慮に血を踏みつけながら近づく。
「急げ。
もう彼らが嗅ぎつけた頃だろう。
彼女から自動送信された情報によって……」
男はそう言いながら、僕を繋ぐ鎖の錠を解除してゆく。
束縛から解放され、力なく血の海に倒れ込見そうになる僕を、白衣の老人は支えた。
「この国はもう終わりだ。
じきに彼らが全てを消し去りに来る。
その前に君に見せておきたいものがある」
「見せたい……もの……?」
「話は後だ、時間が無い」
僕を急かす彼に支えられながら、僕達は床が赤黒く染まった部屋を出た。

誰もいない薄暗い廊下。
静まり返った空間に、足早な二人の足音だけが反響する。
僕は余りにも突然の事態に、戸惑わずにはいられなかった。
次第に自分一人で歩けるようになったところで、僕は彼の肩を離した。
「心配するな。
警備の者は外からの脅威で出張っている」
「外からの脅威……?」
「ヘレナだったか、彼女の緊急信号を傍受したバクテリア国家警察をはじめとした国連軍だ。
電子結界の攻略法と攻め込む口実を手に入れた彼らは、すぐさまここにやって来ようとするだろう」
僕はその時、救われる安心感ではなく、ヘレナを喪った哀しみに襲われた。
緊急信号は、ロボットの遺言だ。
彼女は機能停止したのだ。
僕はまた、いつか何処かで感じた吐き気を覚えた。
僕はまた神を呪いたくなった。
また僕は失った。
顔を歪ませる僕を見ても、彼は表情を変えなかった。
「こんな事なら……こんな事なら、一層の事、亜人になってしまえば……」
「マラパルマから聞いたのか。
残念だが、そう思っているうちは亜人化などせんよ」
僕は彼のその言葉に、妙に納得してしまった。
「あいつの言うことだ、恐らくは、彼自身の経験、どこかの紛争で起きた人体実験から考えた話でも語ったんだろう。
真実なんていつだって薮の中だ」
「真実……」
僕はもう真実などどうでもよかった。
ただもう何も失いたくなかった。
彼は歩みを止めない。
「それでは私も、君に与太話でもしようかね」
もう何も聞きたくない僕は、相槌を止めてしまった。
そんな僕に構わずに、彼は語り始めた。

 

 


〈To be continued……〉