土の便りは水道から 第2話
「あ、詩帆おはよ~」
教室に入ると、喧騒の中から式部真子の少し気の抜けたような声が飛んできた。
中学1年生から奇跡的に連続して同じクラスになった彼女は気の置けない友人だ。
「おはよ~。あぁまたギリギリだ」
荷物を机に置きながら教室の時計を見ると、朝のホームルームが始まるまであと5分しかなかった。前の席の真子と向き合う形になる。
「詩帆の家遠いもんねぇ」
真子がのんびりとそういっているのを聞きながら、カバンの中のものを出す。
ふと、真子が机の上に座っているのに気づき、行儀が悪いと諫める。
真子はえへへなんていいながら、ゆっくりと机から降りた。
「もうちょっと早く出たら? 『外壁』からだと時間かかるのわかってるんだしさ……。どうせまたゆっくり寝てたんでしょう」
隣の席から安倍早苗の笑いを含んだ声が聞こえる。今日もまた本を読んでいて、少しだけ見えたタイトルは『2035年考』だった。
「また難しい本を読んで……。早苗は進学校行けそうだね」
「話題をそらすな!」
そんな会話をしているとチャイムが鳴る。
しばらくして担任が入ってきて、学校での1日が始まる。
特に楽しいとも思わないし、楽しくないわけでもないが、
どちらかといえば、授業は退屈だ。
数学とか国語のほかに決まってやるのは亜人の脅威論。
亜人の生態、亜人にあったときはどうしたらいいか、
亜人対策の歴史……。
あったことのない亜人に対するそれらの話は、
ほかのどの授業よりもつまらなかった。
前半の授業が終わり、お昼休みになった時、早苗が話しかけてきた。
「ねぇ詩帆。外壁工事ってどれくらい進んでるの? 市域拡張ってまだかなぁと思って」
前半最後の授業、途中から寝てしまっていたので意表を突かれた形になってしまった。
「え!? うん。起きてるよ? えっと、あぁ……どうなんだろう。うーん……」
寝てたでしょう?と早苗がからかってくるのをおさえて質問を聞き返した。
「だからさ、市域拡張がいつになりそうかなって。父さんが市域拡張事業の責任者やってて、外壁居住区が完成しないと市域拡張始まらなくて仕事が無いってうるさくってさ。それでちょっと気になって」
ふと近所でひっきりなしに行われている住居建設作業を思い出していた。中にはまだ都市の外壁が完成しきっておらず、隣接する地層がむき出しの個所もある。
日中はそれらの建設作業音が、例の「街宣」と混ざり合って不愉快な不協和音を奏でているのを思い浮かべるだけで、不本意ながら眠気は吹き飛ぶ。
「あ、なるほど……。どうなんだろうね。まだ外壁さえ完成してないとこもあるからまだ先じゃないかな。地層の先が安全かどうかもわからないし……」
安全かどうかもわからない、という表現は思わず出たものだが、要するに亜人都市が広がっているかもしれないということだ。街宣がやたらと近所で気勢をあげているのは、「外壁」が都市の外縁部で、都市が襲撃された場合一番に攻撃を受ける場所だからだそうだ。
「そっか。ありがと。それ聞いたら父さんまた嘆くわ」
早苗は笑いながらそう言って弁当を広げ始めた。
それに続くように鞄から弁当を取り出す。
「ねぇ、詩帆は亜人怖くないの?」
いつの間に振り向いていたのか、真子が弁当箱と箸を持ちながら椅子ごと体をこちらに向けていた。
弁当箱置いていい?と私の机を箸で指したので、行儀が悪いと注意しながら許可をだす。
「怖い……とは思ったことはないかな。だって見たこともないし。実際」
言いながら弁当箱を開けるといつになく色味が地味だった。これは文句を言わねば。
「えぇ~本当に? 壁の向こう側からくるかもしれないんだよ?」
真子は本気で怖がっているようだった。早苗が興味深そうにこちらを見ているのに気が付いた。
「う~ん。被害にあった話とか写真は見るけど、実感がないから……。それより外壁居住区防衛とかって駐留してる人のほうが怖がられると思う」
「へぇ、意外。守ってくれてる存在のほうが怖いって面白いね」
早苗がおかずを口に運びながらそう言った。
「そうかなぁ……。いや別に防衛隊の人が怖いってわけでもないんだけどさ」
気のないような返事をしておく。
真子も早苗も少し不思議そうな顔をしていた。
いつもそうだ。
皆が亜人を極度に恐れているような気がしていた。
なぜかは自分でもよくわからなかったが、
実際に被害にあっていないし、
被害にあう瞬間も見ていないものを怖がることは、
私にはできなかった。
(第3話へ続く)